競走馬掲示板 (36件)
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アカネテンリュウの名前を知ったのは、1980年の春、旧三石町本桐の大塚牧場に繁殖牝馬を連れて種付けに行った時、待合室の壁に額に入った馬の白黒写真が飾って有りました。その写真が大塚牧場さんの生産馬アカネテンリュウでした。種牡馬の乗り運動から戻った大塚信太郎氏がアカネテンリュウの血統、父チャイナロックの事、母ミチアサの事、戦績、静内町出身で調教師の橋本輝雄先生の事等を詳しく教えて下さいましたが、当時は競馬にあまり詳しくなかったので、唯々聞いているだけでした。後になって1969年の第30回菊花賞等に優勝している偉大な競走馬であることを知りました。
約40年も前の懐かしい思い出です・・・・(修正済み)2019/2/28 22:34
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寺山がジョッキークラブカップだか東京新聞杯のときに一本かぶりのテンリュウに抵抗して「くたばれテンリュウ」と書き記した話があります。このレースは確か勝ったはずでしたが、結局楯は取れませんでしたね。リキエイカンに逆襲され、トウメイの前に惨敗し、逃げたベルワイドから離されたりと天皇賞には不思議と縁のない馬でした。
自分が産まれる20年近く前の馬なもので生で見たことは勿論ありませんが右に左に寄れながら勝った菊花賞を動画で見たときはある意味強さを感じましたね。
↑訂正、『競馬場で逢おう』を調べたところ「くたばれテンリュウ」は昭和45年の秋の天皇賞の話でした。勝ち馬はメジロアサマです。(修正済み)2014/5/12 11:30
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今出ている「優駿」通巻800号記念「未来に語りつぎたい不滅の名馬100」をみて、
もう「第二のアカネテンリュウは?」という昭和末くらいまで秋口に話題になった夏の上がり馬
論議は全く死語になってしまったんだなぁ?という感慨にふけってしまう。
>18
もはやアカネテンリュウは全く現代の競馬には話題にならなくなってしまったんですね。
アカネテンリュウの3歳ダービー終了時の戦績を知らず、調べて既に2勝上げているのに
返ってびっくりしてしまった。
バンブービギンやヒシミラクルが5月に初勝利あげたり、オウケンブルースリなど初勝利は
6/8だ。これではアカネテンリュウも形無し。それで消滅してしまったのかな?
上がり馬としてなら、3歳秋に1勝馬から突如変身してG?3連勝を含む年度代表馬になった
タマモクロスや3歳五月新潟デビューから連勝しエリ女はホクトベガに破れたが、マイルG?
を連勝したノースフライトに取って代わられたのかな?
上がり馬もG?勝つだけじゃなく頂点(年度代表クラス)までいかないと評価されないんですかね?
ちなみにタマモクロス30位、ノースフライト55位。(修正済み)2010/7/26 21:58
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今年の菊花賞は、人気の「上がり馬」オウケンブルースリが
勝ちました。
ということで、アカネテンリュウ板なんて無いだろうと
思いつつも検索してみると、ありました!
しかも、こんなに賑わっているなんて(喜)!
親が馬好きだったので、私の競馬場デビューは1歳の時
でした(本人全く記憶にありません)。
物心ついてから最初に応援した記憶のあるのが、この
アカネテンリュウとコウジョウです。
流石にコウジョウ板は無いようですね。1992年生まれの
2代目(3代目?)の板はありますが。
私も「競馬」として見るようになったのは最近です。
それ以前の、単にお馬さん見物をしていた頃の方が
当たっていたのには笑えます。
昔自分が何の分析もせずに見ていた場面を、当時を
良く知る方々が、今解説していらっしゃるのを拝見
しますと、とても為になり、有難く思います。
馬の待遇も、昔よりは良くなったとは言え、もっと
もっと大切にしてあげて欲しいものです。(修正済み)2008/10/31 2:15
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アカネテンリュウの板あったんですねぇ。
私・・・競馬を見始めたのは本当にここ最近で、まだまだど素人なんですが、
実は子供の頃、週末になると遊びに来ていた父の友人が競馬好きで
うちでは誰も見ない競馬中継を見ていて、その時アカネテンリュウの追い込み
を見て、子供心になんだか好きになってしまって応援していた記憶があるんです。
かなり小さかったので、どんなレースに出ていたのかも何も覚えてないんですが
名前だけはずーっと忘れずにいました。その時走っていた他の馬の名前は
覚えてないのに・・・それだけ鮮烈だったんだと思います。
今もやっぱり後ろからくる馬に、つい惹かれてしまうんですよねぇ。
まさかこんな年になって競馬好きになるとは思わなかった私・・・(笑)
アカネテンリュウの映像があったら見てみたいな、と思う今日この頃です。2008/7/3 19:02
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主戦ジョッキーの丸目敏栄氏は有馬記念でスピードシンボリの2着になった年の翌年5月、日本経済賞で先行していたハクエイホウ(伊藤正徳騎乗)の故障競走中止に巻き込まれ落馬、当人は長い間意識不明の重体(馬はスイノオーザ→無事)
騎手としては再起不能になりましたが、競馬会が事故補償として調教師免許を与え(ここらへんは無言のお約束っていうことで、誰も文句は言わないし、まあおおらかな時代)
調教師に転身されました
しかし数年後結局事故の後遺症からか脳内出血により函館に出張中、誰に見取られる事もなく亡くなっていたそうです
デビュー以来ずっと休みなく走り続けていたアカネテンリュウは、有馬記念のあと丸目騎乗でAJC杯に勝ち休養に入ります(夏の函館で復帰)
無事なら天皇賞を目指していたでしょうから、さすがの野武士も勤続疲労だったんでしょう たらればをいえば、もしアカネテンリュウが無事なら天皇賞を使って、日本経済賞に丸目騎乗で出ていたかもしれません(60kgくらい背負うだろうけど当時は普通)2008/5/28 4:55
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なんか「THE 昭和の競馬」って感じの馬
2021/11/18 5:23