競走馬掲示板 (6件)
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Bayardo の体調の回は遅く状態が良くなったのはダービーの2週間前だった。
しかし、本格的な調教を再開すると体調は見る見る上向き、
英ダービー当日にはかなりの好勝負が期待出来るほどの仕上がりになった。
が、ここでもBayardoには不運が襲い掛かる。1番人気のSirMartinが
タッテナム・コーナーに向かっての下り坂の途中で転等。多数の馬が巻き添えを食った。
Bayardoは何とか落馬は避けられたが、6馬身以上の不利を受ける。
勝ったのは2000ギニー馬のMinoruであった。
脚部不安を抱えながら、不運に見舞われながら、25戦22勝という輝かしい成績。
タラレバを言えば限がない世界だが、異常気象がなければ3冠馬になれていたかも知れない。
全戦全勝で引退していたかも知れない。
連勝を止めた敗戦は騎手が良くなかった。マーエ騎手はBayardoが長くいい脚を使えるのに
追い込みにこだわり続けました。
アスコットゴールドCは20Fのレース。そのレースを残り6Fから騎手の制止を振り切ってスパートしての
快勝だったのにである・・・・・・・。
その結果、次走で軽ハンデのMagicに足元をすくわれ敗退。一時は200m近くあった差をクビまで詰めるも・・・・。(修正済み)2005/11/4 13:38
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7戦7勝で2歳戦を終え、来年のクラシックの主役は間違いなし、と言われたスーパーホースに
立ちはだかった壁。それは人間でも馬でもなく・・・・、異常気象だった。
1909年の春、2月から3月にかけて極端に冷え込んで調教コースには草も生えない
むき出しの硬い馬場にBayardoのデリケートな脚は耐えられなかった。
Bayardoの脚は膝が前方に湾曲していました。この特徴は成長するにつれて
顕著になったといい そのためか脚元には常に不安を抱えていた。
父Bay Ronaldも膝が湾曲していたらしいので、遺伝だろうか。
それに加えて霜の降りたある寒い日の調教中に脚を滑らせて転倒してしまう。
その影響で跛行が出てしまい、本格的な調教は出来ない状態に追いやられた。
回避も考えたが馬主の意向で出走する、しかし、大きく離れた4着に敗れる。(修正済み)2005/11/4 13:21
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15連勝の中には140ポンド(約63.5kg)という酷量を背負いながらも、
2着に6馬身差をつける圧勝を見せたニューマーケットバイエニアルS。
残り6Fから加速し一気に先頭に立って4馬身差の圧勝のアスコットゴールドCがあります。
アスコットゴールドCはバヤルドのベストパフォーマンスであったと言われています。
この馬は2歳のときにすでに3歳馬を調教でまったくの馬なりで6馬身もぶっちぎっていたそうです。
それで、オットー・マッデン騎手は2歳馬ではなく3歳馬と勘違いしてしまいました。
その勘違いのためマッデン騎手はこの馬に乗れなかったみたいです。
この馬は「バヤルドのドラム」と呼ばれる癖を持っていました。
それは飼い葉桶を叩いて厩務員にご飯をねだるのです。そのためあごに硬いたこがあったそうです。
20世紀世界の平地競走馬トップ200で第10位です。
2頭の3冠馬の父でありながら自身のクラシック制覇はセントレジャー1個。
コレだけの名馬でも3冠と言うのは難しいのだと・・・・・・・・・。(修正済み)2005/11/4 1:03
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25戦22勝。主な勝ち鞍はリッチモンドS、ミドルパークプレート、デュハーストプレート
プリンスオブウェールズS、エクリプスS、イギリスセントレジャー
イギリスチャンピオンS、ゴールドC。
2歳時は7戦7勝。しかし、イギリス2000ギニーはアクシデントのため4着、
イギリスダービーは落馬した馬の影響で5着に敗れてしまいます。
その後のプリンスオブウェールズSは131ポンド(約59.4kg)というトップハンデを
課されながらも快勝し、反撃ののろしを上げると、それから破竹の15連勝を記録。
引退レースはクビ差の2着に破れ15連勝でストップ。
しかし、勝ち馬のMagicとは実に36ポンド(約16.3kg)もハンデ差がありました。
引退後、種牡馬としてはGainsboroughとGay Crusadorの二頭の三冠馬を出して
1917年と1918年の2度にわたりリーディングサイヤーになりました。
しかし、血栓症による後肢の麻痺がもとで、1917年に11歳の若さでこの世を去りました。
息子のGainsboroughがHyperionを輩出し血を広げました。(修正済み)2005/11/4 0:48
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エクリプスSなどにも勝利。
2012/11/21 19:28